移り行く季節

WEB拍手

 

静かな寮の食堂で、ご機嫌な声が響く。
「ターイガきゅん」
自分の名前に「きゅん」など付けて呼ぶのは、ここエーデルローズ寮でも、いやタイガの生きてきた人生の中でも一人しかいない。ただでさえ良いとはいえない目つきをさらに悪くさせ、タイガはその男を振り返る。
「あ?つーかその呼び方やめろ」
「わ、こわ〜い。もーしかめっ面しちゃって〜。いいことあったんでしょ?」
タイガの睨みを全く気にした様子のないカケルが、つんつん、と肘でタイガの腕を突く。
「あ?何がだよ」
「何って。ほら、なまえさんと♪」
「は?!」
眉間に皺を寄せ、嫌そうに顔をしかめていたタイガは、その言葉を聞いて一気にぱっと表情を変える。カケルは椅子を引きタイガの隣に腰掛け、ニシシと笑った。
「あの後なまえさん追いかけて、渡したんでしょ?ホワイトデーのプレゼント。ほら、ちゃんレオと選んだってやつ」
「えっ?!あっ、いや、その……それは……」
「で、どーだったの?」
「ど、どうって」
目を丸くし顔を真っ赤にしながら、タイガは目に見えて狼狽する。
「わ、渡したけどよ……一応」
ひゅー、とカケルが口笛を吹く。
「やったじゃ〜ん!で、で?結果は?」
「は?」
「け・っ・か!」
「……結果って、なんのだよ」
「……へ?」
カケルはずり下がった眼鏡を人差し指で戻しながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 

 

移り行く季節

 

 

 

「は?!まだ告白してない?!」

静かなエーデルローズ寮に、今度は大きな声が響き渡る。
その声を聞きつけてか、なんだなんだ、といつもの面々がパタパタ食堂に集まってきた。
「お、おい、声でけえって…」
タイガは誰か来てしまうことを危惧して人差し指を口元に当てるが、時すでに遅し。いつの間にやら自分たちを取り囲むメンバーに、タイガはぎょっとして目を見開く。
「うわ!お、お前らいつの間に」
「いつの間にって、もうそろそろ夕ご飯だろ?」
タイガの言葉に、ユウがしれっと返す。確かにその通りだ。ミナトが笑いながら台所から顔を覗かせ、もう少しでできるからね、席についてて、と声をかける。
「うっそでしょ〜?もうとっくに付き合ってるとばかり思ってたのに〜」
一方で、カケルは集まったメンバーの様子には目もくれず、よれよれと大袈裟にその場に突っ伏す。
「バレンタインにチョコもらって、ホワイトデーにお返しして。……なーんでそれで付き合ってないわけ?」
「う、うっせーな」
タイガは目を瞑り腕を組み、椅子にもたれかかる。
「告白のチャンスあったでしょ!もー、タイガきゅんグズグズしすぎ!」
「あぁ?!」
二人の会話を側で聞きながら、なんとなく何の話で言い争っているかを察した他のメンバーは、あぁ……と頷きいつもの調子で各自椅子に座り始める。
「だからほっとけって……」
「ほっといたらタイガきゅんもなまえさんもずーっとこのままじゃん」
「ん、んなこと……つーか!おめー、前とりあえず様子見って言ったろ!」
思い出したようにタイガが指を指すが、指された当人はケロリとした顔でタイガに答える。
「言ったけど、あの時と今じゃ状況が違うんだからさ〜。まさかここまでタイガきゅんが頑張ってるなんて知らなかったし。それに、なまえさん無事受験終わったんでしょ?」
「う……それは、そうだけど」
「だったらもう、なーんにも障壁なくない?」
「や、で、でもまだ……早い……っつーか……そういう感じじゃ……」
タイガは急に猫背になり、カケルに視線を向けることなく、ひたすらテーブルをじっと見下ろす。そんなタイガの様子を見て、カケルは片肘をつきおまけにため息を一つつく。
「も〜。なまえさん、そろそろ痺れ切らして行っちゃうかもよ」
「……」
それは困る。タイガは目を泳がせた。
「……それは」
何か言葉を紡ごうとした瞬間、それはミナトの「ご飯できたよ〜」の声にかき消される。
「おお〜!」
「美味しそうです〜!」
それぞれの席の前に置かれた今日のメニューは、親子丼だ。黄色くキラキラと照り返す卵が食欲を唆る。
「これは美しいな」
「うっひょ〜!超美味しそう!さっすがミナトっち〜☆」
カケルもひとまずは興味をそちらに惹かれたようで、それ以上タイガに話しかけては来なかった。これ幸いと、慌ててタイガは丼を持ち掻っ込む。

食事を早々に終え、カケルに何か言われる前にと逃げるように部屋に戻ったタイガは、バタン、と強めに扉を閉じ、ベッドに転がった。
そして、目を閉じる。
「……」
カケルに言われたばかりの諸々の台詞を否応無く脳内で反芻しながら、タイガははあ、とため息をついた。
「……わかってんだよ……んなことは」
自分の期待や希望を抜きに考えてもーーなまえとは、近頃、なんとなくいい感じである気が、する。となれば、さっさと告白してしまえと思われるのも、致し方ないことではあった。
しかしーータイガはそれでもまだ、気になっている事があった。
(……でも、なまえさんは、俺以外に)
そこまで考えて、タイガはその考えを散らすように頭を左右に振る。
(っかんねーよ!どうすりゃいいかなんて)
急にがばりと起き上がり、タイガは頭を掻き毟る。
「だーーっ、ちくしょう!」
悪い考えを振り払うように、タイガはそのまま腹筋運動を始めた。何でもいい、何かに集中することで一瞬でも忘れられたらそれでいいのだ。それは問題を先送りにしているだけだと、薄々勘付きながらも、タイガは頭の中で30回目の腹筋のカウントを終えていた。

 

 

***

 

 

その後、無事シンと共に高等部に進学できたタイガは、早速ユウとのデュオショーを控えていた。ユウが曲作り、タイガが歌詞を担当すると決めてから数日。2人以外誰もいない食堂で、タイガとユウはそれぞれに唸りながら試行錯誤を行なっていた。

「……なー、タイガ」

あーでもない、こーでもないとタイガがシャープペンシルを手に歌詞を考えているのを見ながら、ユウは静かに声を掛ける。
「あ?」
書きかけの歌詞から顔を動かさないままタイガは答えた。
「…なまえさんって人と今どうなってんの?」
ガン、とタイガが肘を滑らせ乗せていた顎を机に強打する音が聞こえた。
「あ?!……な、な、……なにを……」
「……すげー。本当にカケルが言った通りだな」
なまえさん、の文字を出したら面白いくらい動揺するよん、なんて言ってたけどー、とユウが呟く。タイガは顔を真っ赤にして書きかけの歌詞が載った用紙をぐしゃりと握りつぶした。
「ああ?!あ、あいつ……!!」
「……んで、どーなんだよ?実際」
「はあ?!」
「だからなまえさんとさ。その…なんか…つ、付き合ったり?してんの?」
言っていて少し照れくさくなったのか、顔をやや赤く染め、ユウが腕を組む。
「つっ…!きあってねえよ!」
「え?そうなのか?」
「そ、そ、そりゃ……」
タイガが慌てて目を斜め下に伏せると、ユウはその大きな目を瞬かせた。
「ふーん。…告白とか、しねーの?」
「は、はあ?!や、そ、それは……つーかなんだよいきなり?!お前そんなこと興味あんのか?!」
「へっ?!い、いや…興味っつーか…ま、まあ俺も?将来的には…まあ…そういうこともあるだろうし?後学のためにっつーか……ま、まあこのゼウス様が本気出せば別にそんなことする必要もないんだけどなっ!」
「……?あー……、なんだっけ、お前そういえばあの…なんとかじってやつのファンなんだっけ」
「蓮乗寺べる!!なんだよその半端な覚え方は!」
思わず立ち上がって突っ込んだあと、しまった、といった顔でユウは口元を押さえた。
それをみて、してやったりと言わんばかりにタイガはニヤリと笑う。
「なんだよ、お前もいるんじゃねーか」
その言葉に、一瞬うぐ、と言葉に詰まるユウだったが、ふと気づいたように口を開く。
「…つーか、お前『も』って、それなまえさんのことは認めちゃってるじゃん」
「う……、い、いや別に元々認めてねーわけじゃねーし!」
たしかに、タイガはなまえへの想い自体はすでにエーデルローズ生みんなの前で認めていた。それを思い出しながら、ユウは再び椅子に腰掛け息をつく。
「……あれから少し経つじゃん。まだ付き合うとこまでいかねーの?」
「……ん、んなすぐには……」
「前もさ、カケルが言ってたけど」
ギィ、と椅子にもたれる。
「タイガが押してくれるの待ってる、とか。あるかもしれないじゃん」
ユウがぽつりと言うと、タイガはユウをちらりと見た後に少し黙り込み下を向く。
「……っかんねーよ。あの人、たまになんつーか、その、……掴み所ない時あるし、…正直俺のことどう思ってんのか全然わかんねえ」
「ふーん」
タイガが意外と素直に心情を吐露したことに少し驚きながら、ユウはプレイヤーの音を切った。音作りはひとまず後回しだ。
「でもさ、フツー、嫌いな奴と二人で遊びに行ったりしないだろ」
「……そりゃ……まぁ。嫌われてはないと思うけどよ」
でも、と一呼吸ついてタイガは呟く。
「……あの人は、なんつーか。……多分基本、誰にでも優しいからな」
俺にも、俺じゃない奴にも。ーーそこまで考えて、自分の言葉にタイガは一人静かに落ち込む。
「そういうとこ、カヅキさんの親戚って感じだよなー……んでも、なまえさんは女子じゃん。女子がなかなか好きでもない人と二人きりにはならないんじゃないのか?」
「……」
その言葉を聞き、ふとタイガは思い出す。
初めてなまえの部屋に入った時のこと。
「……そういや。この前なまえさんの家にあがったとき……」
「おう……えっ?!つーか、タイガ、なまえさんの部屋に行ったことあんの?!」
ユウが大きい目をさらに大きく開けて声を荒げる。その反応に驚き、タイガは顔を赤くさせながらも慌てて否定する。
「い、いや!別に…あがったっつっても、何もしてねえって!た、ただ……」
「ただ?」
「……あー、えーっと。コウジさんが作ってくれたプリン食っただけだ」
「……はあ?!い、意味わかんねー!!なんでそこでコウジが出てくんだよ!?」
「それは話すと長くなるっつーか、……と、とにかく!別に何もしてねえ!…た、ただ帰るとき…」
タイガが目を伏せる。ユウは改めて座り直し、前のめりにタイガに向かう。
「おう…?」
「……その、俺が…、あんま男部屋に上げない方がいいっつったんだよ。したら…」
ごくり、とタイガが生唾を飲み込む。ユウもつられて飲み込んだ。
「……なんか、上げる人はちゃんと選んでる、って……」
「お、おおお…!」
ユウがきらきらと目を輝かせる。
「それ、そーゆーことじゃないのか?!」
「…そ、そうなのか?」
タイガは立ち上がったユウを不安げに見上げる。そーだろ!と少し興奮気味にユウが言うと、タイガは再び項垂れて首を後ろを触る。
「……や、でも、別にそれは…たぶん、俺がカヅキさんの後輩だから、それだから信頼できるっつーことだと…」
「いや違うだろ!それを言ったら俺もそうじゃん。でも俺がなまえさんの家には入れないだろ?」
「……」
タイガはその言葉に一瞬納得しかけ目を輝かせるものの、再び「いや」と目を伏せる。
「…なんだよ」
「……なまえさんなら分かんねぇ……事情があるなら上げちまうかも……」
「……タイガお前」
眉を顰めて唸るタイガを目の前に、ユウは眉を八の字にして、ふう、とため息をつく。
「結構ややこしいことになってんだな……」

 

 

 

***

 

 

 

「っくしゅん!」
「おいおい、風邪か?」

一方その頃。なまえはカヅキと二人で外を歩いている最中だった。特に二人でいることに意味はなく、そこでたまたま会ったからなんとなく一緒に帰路についているだけなのだが。風邪気味でも花粉症でもないのに、急に来たくしゃみに首を傾げながらなまえは答える。

「んん?いや…そんなことないと思うんだけど」
「誰か噂でもしてんのかもな」
はは、と目を細めてカヅキが笑う。
「えぇ?」
ハンカチを口に当てながら、なまえは訝しげに眉をひそめる。
「…仁科くんじゃないんだから」
「へっ?な、なんでそこで俺が出てくるんだよ」
「いやだって、仁科くん昔からこう、男女問わず人によくモテるし、人気あるし。噂されるとしたらそっちかなって」
「は、はぁっ?!ん、んなことねえって!」
「……どうかな」
「なんだよその冷たい目は…」
「いやだってーー」

なまえが微笑みながら口を開いた瞬間、次の言葉は他の女子の高い声に被せられて消えた。

「「仁科カヅキ〜〜っ!!」」

え、とカヅキとなまえが同時にその声の元を振り返る。振り返った二人の前には、同じような服装ーーだが色合いはそれぞれブルーとグリーンで揃えられているーーを身に付けた女の子二人が、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけていた。

どこかで見たことあるような、となまえが考えていると、隣でカヅキが「ひっ!!」とカヅキにしては珍しい声と表情で青ざめていた。

「……仁科くん?」
「お、お、お前ら……!」
「今日こそ見つけたにゃーー!!って思ったら、違う女といるってどーゆーことにゃ!!」
「私たちから逃げ回ってるくせに…ま、まさか、か、か、かの……」
そこでその二人もまた、青ざめたようにお互いを見、その後なまえを息の合った様子で指差した。

「「その女(の人)、彼女なのぉ?!」」
「は、はああっ?!」

カヅキは慌てふためき、鼻血を出しながら「ち、違う!誤解だ!」と弁明をする。しかし、その女の子たちは信じられないようで、今度はなまえに向かって視線を投げかけた。

「誰かわかんにゃいけど…怪しいにゃ!」
「か、か、カヅキ先輩と、どーいう関係なんですかっ!」
「え?ええっ?わ、わたし?」
「お前以外に誰がいるにゃ!」
「い、いやただの遠い親戚で…」
慌ててなまえも両手を振り誤解を解こうとする。カヅキもはっと正気を取り戻し、焦ったようになまえの前に立ち塞がった。
「ち、違うんだって本当に!こいつは、ただの親戚で……たまーに会う幼馴染っつーか、そういう……」
だがその弁明は、残念ながら彼女たちの燃え盛る火に更に油を注ぐこととなってしまったらしい。はあ?!とこれまた見事なシンクロで声をあげた二人は、カヅキとなまえを交互に指差す。
「おおお幼馴染って!一番危ないヤツじゃにゃいか!」
「そうだよ!カヅキ先輩ひどい!そんな人がいるのにいつまでも断らないなんてーー」
「いやだから、違うってーー」
わあわあとお互いに声が大きくなっていく。なまえは内心ハラハラしながらその様子を見守っていた。時折「あの」「ちょっと」「違…」と割り込もうとするが、女子二人の勢いとそれから逃げようとするカヅキの動きについていけない。どうしたものか。なまえはオロオロと3人を交互に見るしかできない。
困り果てたなまえは、一旦3人から一歩距離をとった後、ぐ、と拳を握り改めて声を大にした。
「ちょ、ちょっと待って!本当に違うの!」
その声に女子二人はぴたりと止まり、止まったまま目だけ動かしなまえを見る。注目されたなまえは一瞬うっと縮こまるが、ふう、と息をつきなるべく冷静に話そうと努める。
「その。親戚って言っても本当に遠い親戚、だし……幼馴染ってほど遊んでたわけでもないの、たまたま今日そこで会ったから話してただけで……、そ、その、二人の方が私よりずっと仁科くんに会ってると思うよ」
その言葉に、二人の女子は少し静かになり、不安そうな目から徐々に警戒がとれ始める。
「……そ、そうなの?」
「……彼女じゃないのはわかったにゃ。でも……」
不安そうにカヅキを見る二人に、なまえは思わずどきりとしてしまう。
この二人は本当にカヅキが好きなのだ。思わず、今自分が好意を寄せている人物を思い出し、もし同じような立場だったらと、なまえまで胸が締め付けられた。
そんな共感からかもしれない。思わず初対面の女の子たちに、こんなことを言ってしまったのは。

「そ、それに……私、他に好きな人が、いるし……」

周囲が静かだったからか、思ったより大きく響いたその声に、なまえは真っ赤になり思わず口を抑える。

「へ?そうなのか、なまえ」
「へ?!あ、あ、えっと……いや、その……う、うん……まあ」
身内にこんなことを聞かれるのは妙な気恥ずかしさがある。なまえは咄嗟にカヅキから視線を逸らした。
「……」

その様子に、二人の女の子は同じ恋する女性として何かを感じ取ったのかーー憑き物が落ちたようににこりと笑う。

「にゃるほどにゃるほど!そーゆーことなら話は別にゃ!」
「うんうん!よかったー、またライバルが増えたかと思っちゃった」
なまえの肩をぽん、と叩いて笑顔を見せる二人に、ようやく分かってもらえたとなまえは安堵の息をつく。自分の身を切った甲斐があったというものだ。
そんな三人の様子を横で見ながら、カヅキがはは、と笑う。
「ま、よかったな!誤解が解けて」
「……は?」
「……誤解がとけて……じゃなーい!」
「ひっ?!」
「それはそれ、これはこれー!いい加減私たちに返事っ、しろー!!」
「ひいいっ?!」
待て、待ってくれええ、というこれまたカヅキには珍しい台詞を吐きながら、カヅキとその女の子たちはそのまま三人で走り去って行った。

突然残されたなまえは、走り去っていった方向を呆然として見ながら、火照る頬を抑えて息をつく。
(…別に本人に言ったわけじゃないのに)
まるで告白した後のように、心臓がドクドクと波打つのを、なまえはしばらくそこでやりすごしていた。

 

 

 

「ーーなんだったんだ、今の……」
その様子を、道端の角からこっそりと見ていたユウは、眉をひそめてひょこりと顔を出す。買い出しを頼まれて二人で外に出たはいいが、道中でこんな状況にエンカウントしてしまうとは。ユウはキョロキョロと周囲を見渡す。
更にその後ろにいたタイガは、カヅキ達が去ったのを確認した後にようやくユウの後ろから顔を出す。

「なんつーか、カヅキも相変わらずだなー……ってそれはさておき。なまえさんって、あの人?」
「え?!あ、ああ……」
「……へー……優しそうな人だな」
「そりゃ、優しいに決まってんだろ!」
「いや知らねーよ……つーかさ」

ユウは口を開きかけ、逡巡する。これは言ってもいいものなのか。そもそも、タイガは聞いていたのだろうか。
(……好きな人がいる、みたいなこと言ってたよな、いま。どさくさに紛れて。なまえさんって人)
ユウは結局口を閉じる。タイガは聞いていたのか、聞いていたとしてそれがどう響いているのかーーそれが分からない以上、掘り返さない方がいいんだろうと判断したのだ。

「あ?」
「あーいや。なんでも」
「は?!気になんだろ!言えよ」
「なんでもねーって!」

タイガはなんだよ、と言いながら息をつく。

「なあ、つーか、なまえさんって人行っちゃうけどいいのか?せっかくなら挨拶でもーーって」
「あ!やべ!」

ユウの言葉に、慌ててタイガは走り出す。
背を向けて歩き出したなまえに、足を動かしながらなまえを呼ぶ。
その声かけに振り返り、笑顔を見せるなまえを見ながら、ユウは頭の後ろで両手を組む。

「ふーん。……まあまあうまくやってんじゃん」

赤くなりながらも、タイガなりに一生懸命話しかけているその様子と、それに笑顔で応えるなまえを見ながらユウは一人呟いた。

ユウは口角をあげ、二人の邪魔をしないようにUターンし、足を一歩踏み出した。

「ーーあ。って、だめじゃん、おい!タイガ!買い出しどーすんだよ!」

慌てて再びターンをして二人を追いかける。ミナトに怒られるだろー!と声を張り上げるが、タイガは気付く様子もなく一生懸命話しかけている。その様子を見ていると、その場を壊すのも可哀想かと思うが、それはそれ、これはこれだ。今日の食材が無いなんてことは許されない。許せよタイガ、と思いつつ、ユウはタイガを連れ戻すべく走るのだった。