好きということ

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ーー何か悩んだり、気持ちが胸の奥に沈みこんだ時は、体を動かすに限る。

昔から暇さえあればダンスの練習や基礎体力作りに励んでいたタイガは、カケルの部屋を飛び出した後も、例に漏れず高架下でウインドミルの練習に明け暮れていた。

体を動かしていると、いつもなら頭が徐々に吹っ切れてくる感じがするのだが。
今回はどれだけ踊っても、カケルに言われた言葉が脳裏に残り続けていた。

ーー好きなんでしょ、なまえさんのこと。
ーー敵わないって思ってる?

「〜〜っ」
その言葉を追いやろうと頭を振ると、今度はなまえの笑顔が頭の中にふわりと蘇る。

「くそっ」

再びウインドミルをやろうとするが、気持ちがバラバラになっていて全然回転が続かない。

息を切らしながら、柱に背をつけ、目を閉じる。

「……やっぱり俺」

好きなのか、と呟いた言葉が妙に響いて聞こえて、タイガは慌てて口を手で塞ぐ。誰もいないか周りを見渡し、いないことを確認してほっと息をついた。

胡座をかき、しばらくじっとコンクリートの地面を見ながら考える。

ーー俺はなまえさんが好きなのか。
自問しながら脳裏に浮かぶのは、公園で見たなまえの少し落ち込んだ顔、そして花がぱっと咲いたように輝く笑顔だった。
その映像を皮切りに、今までなまえが見せてきた表情がタイガの中で次々と流れ込んでくる。

(…ああ、くそっ)

頭をガシガシと搔き回す。

ーー俺はなまえさんが、好きなのか。

「…好きだ」

自問自答すると、ふっと憑き物がとれたように肩が軽く感じた。

「そうだよな…やっぱり」

タイガは微かに笑う。
よく分からないが、とにかくなまえに会いたいと思うし、なまえの笑顔が見たいと思う。そして、あわよくば、その笑顔を独占したい。自分だけを見ていてほしいーー
それが「好き」でなくてなんなのかと言われたら、タイガにはもう言葉を返す術はなかった。

(…そうか。これが好きってことか…)

どこかすっきりとした気持ちで、立ち上がろうとした、その瞬間。

「何が好きなの?」
「へっ?!」

思わずバランスを崩し再びしゃがみこんでしまったタイガの後ろに、なまえがペットボトルを手にして立っていた。

「やっぱりタイガくんだ。そうかな〜って思って声かけたの。はいこれ、差し入れ」
「え?あ、え?あざっす……」

タイガは混乱しながらドリンクを受け取る。気付けば喉がカラカラだった。頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべながらも、本能に従った動きはできるようで、タイガはそのままキャップをあけ、すぐに半分ほど飲んだ。ぷは、と息をつき、口元を手の甲で拭いながらタイガはゆっくりと尋ねる。

「え…あ、あの」
「ん?」
「い、いつから…いたんすか」
「え?ついさっきだよ。タイガくんがなにかを好きって言ってる辺りから」
「〜〜…っ」

やっと気持ちを認められたと思ったら、その相手に聞かれていたということを知り、タイガは文字通り頭を抱えた。

「そんなに好きなんだね」
「へっ?!」
「ダンスがさ。好きってそのことでしょ?こんな遅くまで一人で練習するほど熱心なんだなって思って」
「……え、あ、ああ…まあ」

そういえば名前は口に出さなかったか。奇跡的な勘違いをしているなまえに、タイガはほっと胸を撫で下ろす。
なまえはスカートを抑えながらタイガの横にそっと座り込んだ。

「…そういえば、なまえさんはどうしてここに?」
高架下なんて、それこそストリート系くらいしか用はなく、わざわざなまえが来るような所でもないだろう。
…もしかしたら、カヅキさんに会いに来たんじゃーーと思い、タイガは慌てて付け加える。
「あ…カヅキさんだったら、今オバレの撮影で数日いないっすよ」
「え?なんで仁科くんが出てくるの?」
「え?」
…カヅキさんに会いに来た訳じゃないのか。タイガはどこか安堵した思いで、微かに笑みを浮かべる。
「さっきね、エーデルローズに寄ってきて」
「えっ」
「この前タイガくんが話聞いてくれて、だいぶ気持ちが吹っ切れたからさ。お礼にと思ってクッキー焼いてきたんだけど…それでエーデルローズに行ったらカケルくんが出てきて」
「カズオが…?」
嫌な予感がする。タイガは眉を顰めた。
「えーとなんだっけ、『あ、なまえさんちょうどいい!高架下行って下さい!タイガきゅんそこにいるんで』みたいなこと言われて…位置情報スマショに送られて」
「あいつ…」
ついペットボトルを持つ手に力が入り、ミシ、と音を立てる。
「よく分からないけど、それでとりあえず来てみたら本当にタイガくんがいたから」
びっくりしちゃった、と笑うなまえに、タイガは再び心臓の奥がぎゅうぎゅう締め付けられるような感覚に陥る。
「そうっすか…」
「うん。あ、ごめんね、練習の邪魔だよね。ちょっと一声かけたかっただけだから…この前は、ありがとう」
「別に…俺は何にもしてないっす」
「そんなことないよ。あ、クッキー、カケルくんに預けてあるから」

よかったら食べてね、と微笑むなまえに、タイガは緩む頬をきゅっと引き締めながら、あざっす、と一言呟いた。

ーー結局、好きだと自覚したところで、気の利いた台詞一つも言えやしない。
そんな自分に少しうんざりして、思わずため息をつく。

「じゃあ、またね」
「あ、…ま、待って下さい」
立ち上がり去ろうとするなまえに、慌ててタイガも立ち上がる。
「ん?」
「その…もう暗いし、俺、送るっス」
「え?いいよ、まだ練習したいでしょ?」
「い、いや!ちょうど帰るとこだったし…」
「…じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな?」
振り返って微笑むなまえに、タイガはこくこくと頷き、あわてて上着とタオルをかき集めた。

*****

日も完全に落ちて、黒い空に電灯と星だけがぽつぽつと光を放っていた。
人通りも少ないこの道で、タイガとなまえの足音だけがやけに響く。
タイガは昼間カケルに言われた事を思い出し、ん、と軽く咳払いをしてから横にいるなまえを見る。

「なまえさん、その…」
「ん?」
「…いや、その。なまえさんって…、カヅキさんとどういう関係なんすか」
「え?どういうって…」
きょとんとしたなまえが、うーん、と顎に指を当てる。
「私のお父さんの兄の奥さんが、仁科くんのお母さんの妹らしいんだよね」
「………?」
一度で理解できず、タイガは眉を顰めた。結局どういうことなんだ?
「つまりえっとーー私の義理の叔母さんが、仁科くんの叔母さんってことかな。叔母さんが同じなの」
それでもよく分からずタイガは「…そっすか」と呟いた。
(…ってか、俺が聞きたいのはそういうことじゃねーんだけどな)
そんなタイガの思いも露知らず、なまえは続ける。
「だから、本当に遠い親戚…って感じで。仁科家って私たちくらい遠い親戚も構わず呼んでくれて、お正月とか宴会開いてくれるから、そういう時には会ったりするけど…仁科くんって子どもの頃からあんな調子で何かと目立つ子だったし、私からしてみれば憧れの人って感じだったかな」
同い年なんだけどね、と照れ臭そうに頬を染めてなまえが付け加え、髪をそっと耳にかける。
その表情を見て、タイガは口を閉ざした。
(それって……)
はあ、とため息をつく。
(…やっぱりカヅキさんのこと好きなんだな)
無理もない。あんなに凄い人なんだから、そりゃ好きにもなるだろう。
スカジャンのポケットに雑に手を突っ込み、タイガは目を伏せる。

「でも別になんていうのかなぁ、恋愛感情として、好きとか、そういうのはなかったかなー…憧れというか、なんていうか」
「えっ」
「…ってごめん、別にそういうことじゃないよね、聞きたいの」
なまえがバツが悪そうに言う中、タイガは思わず口を開く。
「い、いや!寧ろそれが聞きたくて、俺ーー」
はっとして、口を閉じる。
「え?そうだったの?てっきり仁科くんの小さい頃の話とか聞きたいのかと思った」
…それはそれで聞きたいのだが。
タイガはブルブルと頭を振った。
「あ…いや。すみません。俺…へ、変なこと、言いました」
「…?そう?」

なまえがそう首をかしげたきり、沈黙が訪れる。しばらく二人の靴の音だけが響く。その沈黙を先に破ったのはなまえだった。

「…タイガくんは?」
「え?」
「いやなんか、好きな人とかいるのかなって」
「は?!や……えっと」
お前だとはとても言えず、タイガは頭をガシガシと掻き乱す。
「あ、別に言いたくなければいいよ」
「いや……その……い、います」
「え!そうなんだ」
なまえは目を丸くし、タイガを振り返る。誤魔化す方法はいくらでもあったはずだが、不意をつかれてつい本当のことを言ってしまった。
「…そうなんだ…タイガくんも好きな人いるんだね」
「…や、でも、気付いたのは、最近ですけど……って」
聞き間違いでなければ、いまなまえは「も」と言ったはずだ。
「…なまえさんも、いるんすか…誰か」
「え?」
きょとんとしたなまえに、タイガは被せ気味に口を開く。
「俺『も』、って、今」
「ああ…うーん。どうなんだろ。気になる人はいるけど、好きなのかまでは…」
「……そ、うっすか…」
「うん…でもどっちかといえば、好きなのかな…って、今改めて聞かれてちょっと思った」
「えっ」
…ならこんな話するんじゃなかった、とタイガは恥ずかしそうに笑うなまえを見て後悔した。
「いや、でも、多分…私その人は脈ないかな〜と思うんだ」
「え…」
「タイガくんは?脈ありそうなの?」
「……」
それはこっちが教えて欲しい。
という言葉を飲み込み、タイガはさぁ、と呟いた。
「…全然わかんないっす…」
それは本心だった。自分にとっては、一番話をすることができる女性ーーというか身内を除くと唯一と言ってもいいーーだが、別になまえの方はそうではないだろう。なまえが自分のことをどう考えているのか、タイガには全く想像がつかなかった。

「わかんない?」
「…俺、その、人を好きになったの初めてだし、全然…わかんないっす」
脈があるとか可能性があるとかまんざらでもないとか。どうやってそれを見極めるのかもさっぱりだ。
「…そっか」
なまえは何を思ったのか、空を少し見上げて息を吐いた。寒さで白くなった息が、一瞬なまえの唇から出て消えていく。
「…でも、タイガくんに想われてるその娘は幸せだね」
そう言って、なまえがふわりとタイガの方を向いて笑うものだから、タイガは嬉しいような悔しいような、その二つが綯交ぜになった気持ちを押し殺すように、ぎゅっと拳を握りしめた。
「…そう、っすかね」
「うん。だってタイガくん優しいしまっすぐだし。そんなタイガくんに好かれてる子は幸せだなって思うよ。なんか…」
なまえは手のひらにはあっと白い息をかける。
「なんか羨ましいくらい」
そう言って、タイガの方を見ずに笑う横顔に、再び胸がぎゅっと締め付けられる。
ーーそんな事を言わないで欲しい。
タイガはそう思い、再び頭をブンブン横に振る。
(…期待しちまうだろ)

なまえはきっとなんて事ない社交辞令で言ってるんだろう。羨ましい、にもたいした意味はないのだ。タイガのことを褒めるのも、別に特別な意味なんてなくてーー例えばここにいるのがカケルでも、それはそれでカケルのことを褒めていたんだろう。人のいい所を見つけるのが上手い人だから。

そこまで考えて、今度はタイガが空を見上げた。冷たい空気が顔にかかる。

(そういうところはちょっとカヅキさんに似てるよな…やっぱり親戚だけあるっつーか)

はあ、と大きめのため息をつく。白く広がり、すぐに周りの空気に溶け込んでいく。

ーーこのまま好きだと言えたら早いのだが。
言えるわけもなく、タイガは悶々とした気持ちを押し殺すように唇をきゅっと固く結んだ。

「タイガくん、あれってオリオン座かな?」
「え?…あー」

なまえがふと空を指差し、嬉しそうに声を上げる。

「…それっぽいっすね。俺よくわかんねえけど」
「だよね!…写真撮ろっと!」

なまえがスマショを取り出し、夜空に向けてシャッターを押す。

「よっと。…んー、あれ?なんか微妙…というか写ってない?」
「遠すぎるんじゃないすか」
「そっかー…あ、ねえ、タイガくん撮ってみて」
「え?ま、まあいいっすけど」
「タイガくんの方がさ、少し空に近いし」
真剣な顔で良いスマショを渡すなまえに、タイガは思わず吹き出す。
「いや…少しって」
それはそうだが、星から見たらどれほどの差だろうか。
なまえも荒唐無稽なことを言っていることに気付いたのか、顔を赤らめ、ごまかすように口を開く。
「少し近いは近いでしょ!ほら、撮って撮って!」
「え、あ、ちょ、なまえさ…」
スマショの右側をタイガの手に握らせ、自身は左側を持ち、ぐっとスマショを空に向けて掲げる。
(ちっ…近え…)
肩と腕が完全に当たっている。
自分のゴツゴツした筋肉のある腕と違い、ふにゃふにゃした柔らかい腕の感触。
「あの、なまえさ」
「タイガくん、ほら、ちゃんと持って」
「やっ、あの、わっ」
「ブレないようにちゃんと持ってね。せーの」
なまえが腕を精一杯伸ばし、シャッターを押す。
これでは結局なまえの手の届く範疇であって、自分が支えている意味はあったのか、という考えが一瞬タイガの頭を掠めるが、それよりも腕に押し付けられたなまえの体温が気になりそれどころではない。
「とれたかな?」
なまえがふっとタイガから離れ、スマショを触り出す。
解放された、という安堵の気持ちと、離れてしまった温度を寂しく思う気持ちが入り混じる。
「…あんまり変わってないや」
「…そりゃ、そうっすよ」
なまえがぽつりと漏らした言葉にタイガが呟くと、二人はふと目を合わせる。
どこかおかしくなって、二人でどちらからともなく笑い始めた。

「あーおかしい。あ、タイガくん今日はありがとうね。ここまででいいよ」
もう家あそこに見えてるし、となまえがマンションを指差す。
なまえの通う女子校の寮だそうだ。
「あ…はい」
家の前まで送りたかったが、あまりしつこくしても良くないかと思い、タイガは素直に引き下がることにした。
「話せてよかった。またね」
「あ……、あ、あの!」
手を軽く振り、そのまま帰ろうとするなまえに思わず声をかけ、右手首を掴む。
「ん?」
なまえはきょとんとした顔でタイガを見ている。
「いや、えっと」
まだ帰したくなくて、思わず呼び止めただけですーーとは言えるわけもなく、タイガは考えを巡らす。
「あの…こっ…今度」
「今度?」
「今度っ、プリズムショー、見に行きませんか!」
「え?」
突然の申し出に、なまえは目をパチパチと瞬かせる。
「あ、や…その。ストリート系メインのプリズムショーが今度開かれるんすけど…出場資格が高校生以上だから、俺出れなくて。…でもカヅキさんとか、あの有名な黒川冷さんとか…すげーメンバーが揃ってて…!」
これは本当のことだった。来週開かれるそのショーをタイガが楽しみにしていたのは事実だ。ただ、一人で行くか、そのとき寮にいるエーデルローズのメンバーで適当に行こうと考えていたのだが。咄嗟に思い出せたのがこの予定しかなく、タイガは慌てて続ける。
「結構でかいステージだし…絶対面白いっすよ!」
「へえ〜。確かに、ストリートだけって、なんか珍しいし面白そうだね」
「は、はい!絶対見たほうがいいっす!」
好感触につい浮かれ、なまえの手首を握る手に、ついついぐっと力が入る。
「ん、いたっ」
「あ、す、すみません!」
手首をずっと握っていたことに遅まきながら気がつき、タイガは真っ赤になりながら慌ててその手を外した。
「すみません、俺…」
「別に大丈夫。ねえ、そのショーっていつあるの?」
「あ…来週の土曜っす。…ちょっと急なんですけど…」
「そこなら空いてる。…まだチケット取れるなら、行ってみようかな?」
なまえがにこりと微笑む。
「と、取れます!つーか、何枚かはエデロに取ってあるんで…大丈夫っす!」
タイガがガッツポーズを取ると、なまえはありがとう、と笑う。
「じゃあ、来週の土曜日だね」
「はい!また…時間とか、待ち合わせ場所とか、連絡するんで!」
「うん。楽しみにしてるね」
はい、とタイガは元気よく返事をする。
なまえは今度こそマンションの中へと帰って行った。

タイガはなまえがマンションの中へ入るまでその場で見届けながら、一人にんまりと笑う。

(…っしゃ。なまえさんと二人で出かけられる…!)

しかも、見るのはあの現ストリートのカリスマ、元ストリートのカリスマ二人のショーだ。タイガはエーデルローズまで駆け足で帰りながら、来週の土曜どこで待ち合わせるかを考えていた。