ORION 2

WEB拍手

ORION 2

 

 

「さあ!ここが僕のアパートだよ」
ようこそ、と手を広げて扉の前に立つヒロは、その笑顔や溢れる気品、煌めくオーラ…まるで舞踏会に姫を誘いに来た王子様のようだった――そう、背後が築何十年の古ぼけたアパートでなければ。

「わぁお…逆に新鮮っす~」
「…こ、ここが噂の…」
「まー、俺たちは来慣れてっけどな」
「お邪魔します」
それぞれ思い思いの感想を打ち明けながら、一人一人入っていく。ちゃぶ台を二つくっつけ、なんとか6人の食事スペースを確保したヒロは、嬉しそうに座布団を並べだす。
「さあ、どこでも座って座って!」
「あ、ああ…」
やけにテンションの高いヒロにカヅキは少しばかり引き気味に応える。
「じゃあ僕はさっそく調理してくるよ。少し待っててね」
「あ、私も何か手伝おうか?」
台所へ消えていくコウジに、なまえは慌てて立ち上がる。が、立ち上がりかけたその両腕を、右からヒロ、左からカケルに引っ張られ、あえなくその「手伝い」は立ち消える。
「いいからいいから。なまえちゃんは、今日はもてなされる側だよ?」
「そーっすよ。それに、多分、コウジさんがキッチンに立ってるときは下手に立ち入らない方がよさそうですし~」
「ああ、それは言えてる」
コウジは料理への拘りが強いからね、とヒロが腕を組みうんうんと頷く。そうなの?となまえは再びゆっくりと席に戻った。
5人が座った頃合いを見計らい、ヒロがなまえに話しかける。
「ところで、なまえちゃんは、もうすぐ受験なんだっけ?」
「うん。あと1か月切ったところかな」
「じゃあ、大詰めだね。ちなみに、どこを受けるの?」
「えーっと、N女子大っていう所で…」
「え。あの有名な?すごいな、なまえちゃん優秀なんだね」
「なまえは勉強はできるからなあ」
「…仁科くん、それどういう意味?」
「え!?あ、ち、違…」
誰もスポーツはできないなんて言ってないからな、とカヅキが付け加えると、カケルが淡々と「それフォローになってないっすよ」と眼鏡を上げ、笑いが起きる。タイガは笑っていいのか迷い、ヒロたちとおかしそうに笑うなまえをちらりと横目で見る。
「じゃあじゃあ~、スケートも苦手だったり?」
「ん?うん、実は今日が初めてで…だいぶタイガくんに迷惑かけちゃって」
カケルに問われたなまえは、照れ臭そうに頭の後ろに手を置く。タイガは慌てて首を横に振った。
「んなことないっす!」
「…って言ってますけど?」
カケルがタイガを指さし、なまえに微笑みかける。
「そう?でも全然一人でまともに滑れなくて…」
「い、いや…もう一度行ったら、絶対、滑れますって」
「あーつまり、もう一度スケートに一緒に行こう、と。タイガきゅんやるぅ〜」
「は、はぁあ!?そ、そういう意味じゃ…!」
カケルが勝手にする「翻訳」に、タイガは赤くなりながら慌てて怒る。
「そっか。じゃあまた受験終わったらお願いしようかな?」
「えっ…あ、はっ、はい…まぁ…いーっすよ」
なまえがあっけらかんと微笑むと、タイガはあぐらをかいた足首を手でつかむようにして、なまえから目線を逸らす。
「いーっすよじゃなくて、是非お願いしますでしょ~?タイガきゅんは」
「…おっめぇなあ!」
カケルが冷やかすと、タイガは眉を釣り上げカケルを睨む。
そんないつもの様子を、はははと笑いながらヒロとカヅキ、そしてよく分かっていないなまえが見ていると、5人の頭上からコウジの声が降ってきた。

「さ、みんな、できたよ」
そうこう話しているうちに、出来上がったようで、コウジが料理を手にエプロン姿で現れた。
ボロアパートに不釣り合いな白く平たい陶磁器が、静かな音を立てながら5人の目の前に置かれていく。

コト。
「はい。これはオマール海老のコンソメゼリー寄せ、この前お歳暮で頂いたキャビアとカリフラワーのムースリーヌだよ」
「おお!うまそうだ!」
コト。
「はい。これはミナトと自家燻製したノルウェーサーモンと帆立貝柱のムースのキャベツ包み蒸し、生うにとパセリのブルーテだよ」
「すごい…」
コト。
「はい。蟹と手長海老のポワレとサフランリゾット 濃厚な甲殻類のハーモニーを味わうクリームソース仕立てだよ」
「…こんな食材どこにあったんです?」
コト。
「はい。これは国産牛フィレ肉のポワレ エーデルローズの庭でとれた季節の温野菜と自家製マスタードソース、オレンジの香りを纏わせたブールパチューだよ」
「これが全部あの小さな冷蔵庫から出てきたのか…?」

次々と置かれる名前の長い料理たちに、それぞれは驚きの声を上げていき、名前を最後まで聞き取れず首を傾げていく。
しかし、ひとたび口に入れれば。

「わぁ、おいしい…」
「うまっ…」
「さすがコウジ!」
「うわ~、うちで経営してるレストランよりおいしいっす~」
「相変わらず凄いなコウジは」

5人全員から絶賛の声を浴びたコウジは、ニコニコと笑いながら「そう?ならよかった」とウインクをしてみせる。

「タイガくん、これ美味しいね」
「そっすね」
「これも甘くてすごくいい香り」
「…あれ、でも、なまえさんこの野菜苦手って言ってませんでしたっけ」
タイガはただそれを思い出して呟いただけだったが、なまえは殊の外慌てた様子で顔を赤くし、唇に人差し指を当てた。
「そ、それは内緒で…!だ、大丈夫、神浜くんのは美味しいから」
「あっ、す、すんません…!」
「ううん、別にいいんだけど」

そんな様子を見て、ニヤニヤと笑うこの部屋の主。
視線に気が付き、なまえはヒロに目を向ける。
「ん?」
「いやあ。…やっぱり二人は仲がいいんだなあと思って」
「え、あ、う、い、いや」
「タイガきゅん、何言ってるかわかんないよ~?」
「うるせえカズオ!」
タイガとカケルがいつも通りのやりとりをしたところで、ヒロはところでさ、と再びなまえに向かって口を開く。
「なまえちゃんは今、彼氏とかいないんだよね?」
「え?うん」
「じゃあ、好きなタイプは?」
ヒロが片肘をつきにこりと微笑む。
ぎょっとしてタイガがなまえをドキドキしながら見守ると、なまえは少し目を瞑ったのちにつぶやいた。
「ん?んー……あんまり考えたことないかなぁ」
無難な答えに、ほっと息をつくタイガ。これで自分と正反対のイメージを出されたらと思うとたまったものではない。そんなタイガの思いとは反対に、ヒロはどんどんとタイガにとってデリケートな話題へ突き進んでいく。
「そうなんだ?…じゃ、強いて一つ言うとしたら?」
ヒロさん、と叫びそうになるタイガを、カケルが後ろからさりげなくロックし、手で口を塞ぐ。
「んー!んんんんん!(なにすんだ!)」
「まあまあまあ。ここは聞いといた方がいいんじゃな~い?」
そんな二人の様子にも気が付かないまま、なまえは腕を組み、唸る。
「え?うーーん…そうだなぁ」
そしてしばらく考えこんだ後、ぱっと目を開く。
「…まっすぐな人、かなあ。抽象的だけど」
「お!じゃあぴったりじゃないか」
「?何が?」
指をぱちんとならすヒロに、なまえはフォークを持ちながらきょとんと目を丸くする。
おとなしいな、と思い、カケルがふと抑え込んでいるタイガを覗き込むと、口を塞がれたまま真っ赤になって俯いていた。
(息できなくなって苦しい……わけじゃないよね流石に)
ぱっと手を離し「よかったね~」とカケルが呟くと、か細い声で「……うるせぇ」という返事が返ってきた。

 

 

*****

 

 

「――さて。そろそろお開きにしようか?」
コウジが皿を片づけながら笑うと、ヒロが申し訳なさそうに言う。
「ああ、もうこんな時間か。ごめんね、楽しくてつい…じゃあタイガ、なまえちゃん送っていってあげるんだよ」
「はっ?!」
急に指名されたタイガは顔を赤くして頭を上げる。
「あ、いいよいいよ。そんなにここから遠くないし、一人でーー」
「あ、いや!送ります、送りますっ」
「え、でも夜遅いし」
「だからこそだろ。ま、ここは送られてやってくれ。俺も心配だしな」
断ろうとするなまえにカヅキが声をかけると、少し間を置いた後なまえはタイガを見た。
「ん…じゃあ、ごめん。タイガくん、お願いしていいかな?」
「はい!」
正座して膝に手をおきながら、いい返事をするタイガに四人は微笑む。コウジがふっと立ち上がり、台所の方へ消えたかと思うと、再び何か箱を持って戻ってきた。
「じゃあ、これ。僕からのお土産だよ」
「え?お土産?」
コウジが白い箱の取っ手を持ち、なまえに手渡す。
「そう。産みたて新鮮たまごと北海道産の低殺菌牛乳で作った特製プリンが二つ入ってるから。また二人で食べて」
「わあ…ありがとう。その…なんだか今日はごめんね、何から何までしてもらっちゃって」
「いや、むしろごめんね。なんだか巻き込んでしまったみたいで」
「そうっすよ〜。いきなり車に乗せちゃってすみませんでした」
「ううん、本当に楽しかった。また明日から頑張れるよ」

じゃあ、と白い箱とバッグを持ち、なまえが片手をあげて玄関から立ち去る。タイガも慌ててスカジャンを羽織り、「んじゃ、失礼します!」となまえの後を追って行った。
二人にバイバイ、と手を振りながら、そのドアが閉まるのを見守ると、まず口を開いたのはカヅキだった。

「…ヒロ。さすがにちょっと攻めすぎじゃないか?」
「え?そうだったかな?」
「まあ、いいんじゃない。いい刺激になったと思うよ」
「……まぁ、その刺激をタイガきゅんが活かせるかどうか、なんですけどねん」
カケルが最後につぶやいた言葉に、3人はなんとも言えない唸り声を上げた。

 

 

*****

 

 

一方その頃、なまえとタイガは、すっかり暗くなった道のりを横に並んで歩いていた。

「わー、結構暗くなってたんだね」
寒い寒い、と服の上から腕を擦るなまえに、タイガは自分のスカジャンを脱ぎ掛け、声をかける。
「あ…あの。寒いならこれ…」
「あ!見てタイガくん」
「……」
悪気のないなまえの言葉が、脱ぎ掛けたタイガに被さる。無言でもう一度スカジャンを着直し、タイガはなまえが指さす空を見上げる。
「この前も見たよね、オリオン座」
「あー…そうっすね」
なまえを好きだと自覚したあの夜のことを思い出し、タイガは一人むず痒い気持ちになる。
「あの時もタイガくんに送ってもらっちゃったなぁ」
「いや、あれは…わざわざ来てもらったし…当然っす」
「勝手に来ただけだよ。ありがとう」
「や、で、でも。俺は、嬉しかったし……あ、いや…じゃなくて、えっと」
タイガはゴニョゴニョと誤魔化しながら、ポケットに手を突っ込む。
「そ、それに!んな、なまえさんを一人で帰らせたりしたら、…カヅキさんに顔向けできねぇし」
なまえは横に振り向き、タイガを見て微かに笑う。
「…そっか」
「…なまえさん?」
「ん?」
「あ、いや」
(…気のせいか?)
今少しだけ、なまえが寂しそうな目をしていたような気がする。
とはいっても、今の会話に妙な所はなかったはず、とタイガは頭の中で会話を反芻しながら、その違和感を口にはしないまま、なまえと無難な会話をぽつぽつと続けていた。

 

「あ、着いた。じゃあね、タイガくん」
「あ、っす…」
楽しかった。その一日が、これで終わってしまう。なまえと昼から夜までずっと一緒にいてーー慌ただしかったが、幸せだったな、とタイガは今日という一日を噛み締める。
「……」
「タイガくん?」
俯いて黙り込むタイガに、なまえが声をかける。
「…あ、いや…」
ここで別れるのが寂しくて突っ立っている。…とはとても言えず、タイガは言葉を濁した。
次はいつ、会えるのだろう。
これからなまえの受験も本格的に始まり、きっとしばらくは会えなくなる。
それはともかくとして、受験が終わったら――大学に入学したら――なまえは今まで通り自分と会ってくれるのだろうか。何となく、今のこの、奇跡的に適度に会えている流れをぷつりと切ってしまったら、長いこと会えなくなってしまいそうで、タイガは一人勝手に不安になっていた。
そんなタイガをどう思ったのか、なまえは少し口を噤んだあと、コウジからもらった白い箱を見て思い出したかのように言う。

「あ、タイガくん。よかったら少しうち寄ってく?ほら、神浜くんからプリンもらったの忘れてた。2個あるっていってたよね」
「えっ」
「…あ、もしかしてプリン苦手だった?」
「いっ、いいいや!だ、大好きで…あ…じゃなくて…その」
「よかった。それじゃ食べてったほうがいいよ。神浜くんのプリンなんて絶対美味しそうだもん」
「そ、それは、そうだと思いますけど」
自分が慌てふためいているのはそこではない。そう言いたいが、それを言える訳もなく、また断るうまい文句も思いつかない。何より、そもそも断りたくはない。
「お茶くらい出すよ」
にこりと微笑むなまえに、タイガは無言で頷くほかなかった。

 

「ごめんね。一人暮らしだから、部屋、せまいけど」
「あ、い、いや。…、邪魔します」
タイガは靴をいつものように乱雑に脱いだあと、ふと気がつき玄関で靴を揃える。

玄関から一歩出ると、すぐ右横に洗面所とおぼしき扉。そして左手側にキッチンがあり、奥にーーなまえがいつも寝ているであろうベッドと学習机、テーブルが置かれていた。
本棚には教科書などが整然と並べられ、学習机の上には勉強していた跡がみられる。
なまえは丸テーブルの近くにクッションを2個置くと、タイガを手招きした。

「この辺適当に座ってて。いま、お茶淹れてくるから」
「あ、あざっす…」
軽く頭を下げ、おずおずと室内に足を踏み入れる。
ーー初めて入る、姉以外の女性の部屋。それも、好きな人の。
そう意識した瞬間、タイガの心臓がばくばくと音を立てて動き始める。
なんとなく左胸のあたりのシャツをぎゅっと握りしめながら、タイガは置かれた薄いピンクのクッションにゆっくり腰を下ろし、あぐらをかく。
(…なんか、いい匂いすんな)
少し甘いような、春の天気のいい日のようなーー
(…って何考えてんだ俺は)
浮かんできた考えを振り払うように、頭を左右に勢い良く振る。
「タイガくん、緑茶とコーヒーと紅茶があるけど〜」
「は、はい!…っと、りょ、緑茶で…すんません」
「はーい」
台所からかかる声に、慌てて答える。
ほどなくして、なまえがマグカップを二つ持ってきた。
「はい、ちょっと熱いかもだから気をつけてね」
「あざす…」
「で、これが神浜くんのプリン」
「っす」
プラスチックのカップに、薄黄色のプリンとその上に乗る生クリーム。見ただけでも美味しそうだとわかるそれに舌鼓を打ちながら、タイガとなまえはコウジの手腕に改めて驚きの声を上げた。
あっという間に平らげ、なまえに淹れてもらったお茶をゆっくりと飲む。

(…当たり前だけど、なまえさん、ここで毎日…暮らしてんだよな)
なまえの部屋の中で、タイガはふと思う。あまりじろじろと見ないように、少しだけ視線を動かしては戻すという動作を繰り返しながら、ちびちびとお茶を飲んでいく。

「…あ。あれ」
とあるタオルが室内干しされているのをみて、タイガが思わず呟く。
「ん?あ、そう。この前のストリートのショーで買ったマフラータオル。ああいうのってさ、ショーとかライブが終わると使い道なくなっちゃうよね〜」
「…そっすね。俺は、レッスンとかあるんで、そんとき使います」
「あ、そっか。それならちょうどいいよね。私も普通に使ってもいいんだけど、私が使うとなると洗面所のタオルとかになっちゃうんだよねえ」
それはなんか微妙だなーと思って、と紅茶をかきまぜるなまえに、タイガは笑う。
「それは確かに勿体無いっす」
「だよね?しばらくしまっておかなきゃ。またショーがあったらその時使お」
「…あ…またプリズムショーあったら、その。誘う…んで。そのときにでも」
「え、ほんと?うん、見たい見たい。プリズムショーなら何でも誘って」
体育座りのように膝に手をかけ、なまえは微笑む。
なまえの生活に、自分との思い出のかけらが少しでも存在している。それがなんだか、なんとも言えない、小さな興奮となってタイガの心の中を弾み回っていた。

 

「…じゃ、帰ります」
玄関先で、スニーカーに足を乱雑に突っ込みながらタイガは軽く頭を下げる。
「うん。今日はすごく楽しかったよ、ありがとうね。またね」
「はい。……あ、あの」
言うか言わまいか。散々迷っていたが、意を決してタイガは口を開く。
「ん?」
「……や、その。散々居ておいて、なんなんすけど」
「え?」
「……あんま、男家にあげない方が……いいっすよ」
「へっ」
「や!その。俺は!もちろん、何も、しないですけど!ほ、他のやつとか…変なやつだったら…危ねえし、って思って……あーその、…すんません」
上がっておいて、とタイガはバツが悪そうに頭をかく。
なまえはそんなタイガの様子を少し驚いたように見つめたあと、ふふっと笑った。
「なまえさん?」
余計なことを言いすぎたかとタイガが不安げになまえを見ると、なまえは一旦目線を下に降ろしたあと、再びタイガを見上げた。
「…タイガくん。流石に私も、そこまで子どもじゃないよ」
「え?」
「部屋にあげる人は、ちゃんと選んでるから」
「……」
(それは、どういうーー)
タイガは困惑を言葉に出そうとするが、うまく口から出せずにただ目を見張る。
「あ、ほら。もう時間遅いよ。明日早いんでしょ?」
なまえが時計を見あげ、にこりと笑い、タイガの腕をポンと叩く。
「え。あ、えっと、はい」
なまえの言葉がぐるぐると回り、なかなか頭が働かない。反射的に、今聞かれたことに答える。
「そ…うでした。明日、朝一でレッスンが…」
「ほらほら。寝坊しちゃうよ」
「は、はい」
頭の中で整理がつかないまま、なまえに促され、外に出る。余韻に浸る間もなく、またね、というなまえの言葉に、はい、と返事をするのがやっとだった。

 

 

タイガは夜の月明かりに照らされた道を一人で歩く。

ーー部屋にあげる人は、ちゃんと選んでるから。

その意味を、何度もぐるぐると頭の中で考えては反芻する。

(…それって)
ポケットに手を突っ込む。
(どういう、意味なんだよ)

なまえからしたら、タイガは親戚のカヅキの後輩であり、なおかつそのカヅキを尊敬しているわけで、ならば滅多なことはするはずがない――という考えからくる信頼、なのか。
それとも。

もう一つの考えがタイガの中で浮かんでは消えていく。
(…いや。いやいやいや。ねえだろ、それは。都合良すぎるだろ、俺にとって)
タイガは頬を赤く染めながら、首を左右に振る。

(…なんにせよ、安心してくれたってことだよな。俺なら変なことしねえ、って…)
タイガは下を向きながら歩く。スニーカーが左右交互に視界に入ったり出たりするのを、ただただ見つめている。
(だったら、いいこと、だよな…なまえさんに怖がられてないってわけだし…信用されてんのは、嬉しい)
しかし。ぴたり、と足を止める。
(……男として見られてない、ってことは…ねえよな…?)
ごくり、と唾を飲み込む。再び足を踏み出し、歩き始める。
ない、と言い切れないのが怖い。もしかしたら――例えば自分はなまえにとって弟のような存在なのかもしれない。だからあんなに警戒心もなく部屋に上げるのではないか。だからこちらの誘いにも簡単に乗ってくれるのではないか。
「……」
考えていくと、ありえそうで怖い。タイガは慌てて浮かんできた考えを吹き飛ばすように首を左右に振る。
「だーーーっ、くそっ!!」
頭の中でぐちゃぐちゃになった考えを吐き捨てるように思わず大きな声を出すと、いつの間にかエーデルローズ寮の玄関までたどり着いていたようで、外にいたシンがびくりと反応する。
「わ、タ、タイガくん!?び、びっくりしたあ…」
「…おめぇ、何してんだよ」
「え?!な、何って…ゴミ捨てだけど」
明日は雑紙の日だから、前もって雑誌とか新聞紙とかその他もろもろいらない紙がある人はここにまとめとけって山田さんが…と話すシンの言葉も、右耳から左耳へと消えていく。朧げな目で、タイガは生返事をした。
「…そうか」
「…って、タ、タイガくん聞いてる…?目、目が……」
どこを見ているのか、ぼうっとしたタイガの目の前で軽く手を振って見せるが、タイガはぴくりとも反応しない。
「…いや……んなわけないよな……多分……信用ってことでいいんだよな……じゃねえと……いや……」
シンの横を通り過ぎながら、ポケットに両手を突っ込んだまま、猫背気味にブツブツと独り言を呟き進むタイガに、シンはたらりと汗を一筋流す。
「タ、タイガくんがおかしくなっちゃった……」
そう呟くシンの言葉は、夜の暗闇に吸い込まれていった。