負け戦

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「――ケルくん。カケルくん?」
「――え?」

前々からなまえと進めている、とあるプロジェクトの打ち合わせのため、十王院グループの持つ数々のビルの中の更にその内の一室――二人で打ち合わせをするにはやや大きすぎるこの部屋――で、カケルとなまえは資料を広げて話し合いをしていた。
そんな中、なまえに肩を揺らされ、カケルはふっと意識を取り戻す。

「…あ…あ!うわっ、すみません。今完全に意識飛んでました…」
目を覚ましたカケルは、涎が垂れていないかと、慌てて反射的に口元を拭う。
「ううん、いいんだけど。大丈夫?カケルくん」
「あ、ああいや、ぜんっぜん大丈夫ですよん♪ちょーっとうたた寝しちゃっただけなんで!」
眠たげな顔から、瞬時にぱっと表情を明るくしてカケルは笑ってみせた。
「でも、仕事中にすみませんでした」
「それはいいんだけど」
すぐに表情を引き締め、ビジネスマンとして改めて謝罪をすると、なまえは心配そうな表情を崩さないままカケルの目をじっと見つめた。
「…最近眠れてる?睡眠時間、ちゃんととれてるの?」
「え?やーだなぁなまえさん、ほんとにちょっとうとうとしちゃっただけですって!ちゃーんと寝てますよん」
「……」
カケルは笑ってなまえの追及を流そうとするが、なまえは尚じっとカケルの顔を覗き込む。
「…本当に?すこーしだけだけど、あんまり顔色もよくないような…」
「そんなことないですって!あーきっと、ここの照明のせいですよ、光源が青いんで~~」
「…うーん」
「さっ、それより続き続き〜」
カケルの言い訳に明らかに納得していないなまえに、敢えて気づかないフリをして、カケルは資料を取りぺらりとページを捲る。
ーーが、なまえはカケルが再三流そうとしたその空気にも負けず、再び話を戻す。
「…ごはんとか、ちゃんと食べてる?」
カケルは直近で食べたものーーゼリー状の、カロリーをすぐに摂れるというのが売りのドリンクーーを思い出しながら、笑顔で頷く。
「食べてます食べてます!うちの寮にはミナトっちっていうちょー優秀な料理人がいるんで♪めちゃくちゃ美味しいし栄養バランスもいい食事を作ってくれるんすよ〜、あ、そーだ、よかったら今度なまえさんもミナトっちの料理食べてみてください、ミナトっちに頼んでみるんでいつでもーー」
「カケルくん」
いつもの調子でペラペラと話し続けるカケルに、なまえは少し大きい声で、はっきりと名前を呼んだ。
真剣な表情に、カケルは思わず笑顔をぴたりと止めた。ひょうきんに動かしていた手を、すっとテーブルの上に置く。
なまえは神妙な顔つきで、カケルの想定外の発言をした。
「…今日はここまでにしておこうか」
「へっ」
「別にまだ時間はあるし、今日最後まで詰めていく必要もないでしょ?」
「……それは、そう…ですけど…」
言いながらも、なまえは資料をさっさと整理し、ファイルを閉じていく。そしてそれを一まとめにし、トントンとテーブルの上で書類を揃え、にこりと笑う。
「また今度にしよ?」
「え、や、いや…なまえさん、心配してくれてるのは有難いですけど、俺っち本当に大丈夫なんで!今日だってわざわざ打ち合わせでなまえさんに時間取ってもらったわけだし、最後までやりましょう」
慌ててそれを阻止するカケルに、なまえはふう、と笑顔でため息をついた。その顔にドキリと心臓が高鳴る。
「カケルくんのために止めるわけじゃないよ」
「え?」
「私が心配で気になっちゃうだけ。ごめんね」
「……」
カケルが何と言おうか逡巡していると。
「私、いつも明るいカケルくんが好きだよ」
「……へっ?!」
唐突ななまえの言葉に、カケルは思わず顔を上げた。あまりに不意打ちすぎて、柄にもなく顔が熱くなってゆくのを感じる。
「だからこそ、ちゃーんと休んで元気100%になってから、いつもの明るいカケルくんを見せて欲しいな」
「…なまえさん」
呟きながら、カケルは心の中で白旗を上げていた。こう来られたら、今日はもう負けだ。
(…まぁこの「好き」って、そーゆー意味じゃないのは、分かってるけどねん)
それでもこんなことを言われたら、今日はもう踏み込めない。カケルは軽く俯いた。
それをどう思ったのか、にこりと笑いなまえが口を開く。
「また来週、同じ時間と場所でいいかな?私もここまでの話し合いで色々変更したいところでてきたし、その辺りちょっと考えてくるね。じゃ、今日は絶対ちゃんと寝るんだよ」
じゃあね、と整理し終えた資料をバッグに入れ、なまえは立ち上がり、ひらひらと手を振って去っていった。
辛うじて「わかりました、また」と返し、手を振り返しながら、閉まって行くドアをじっと見つめる。

バタン、と完全にドアが閉まりきったあと、カケルは一人残された会議室で、椅子に思い切りもたれかかる。手足を投げ出して、真っ白な天井を見上げた。
「ーーあ〜〜……」
眼鏡を取り、右手の平でぺたんと目を覆う。
「しまった……」
自分の不覚に、カケルは顔を顰める。
ーーわかっている。別に自分はなまえに嫌われたわけではない。むしろ、なまえは最大限に自分を気遣ってくれたのだ。体調のことを考えてくれたし、たとえ「そういう意味」じゃないにせよ、好きとも言ってくれた。それは、理解しているし、嬉しい。しかしーー
「……見せたくなかったなぁ…疲れてるとこなんて」
手を顔から外し、再び天井をぼーっと見上げてカケルは呟く。
「なんで分かっちゃうんだろねぇ」
実の所、なまえが言っていたのは大体当たっていた。ここ数日ろくに睡眠がとれておらず、とれたとしてもソファーの上やデスクの上で仮眠という形が関の山。ベッドに身体を沈めて眠れたのは3日前が最後だったのだ。寮にも帰っていないため、当然「ミナトっちの栄養満点の料理」ーーなんてものも数日食べていない。すぐ食べられるスティック状の固形栄養食品や栄養ドリンクなどが、ここ数日のカケルの胃を満たしてきたものだった。

全て見抜かれていたのが、悔しくもあり、少し嬉しくもある。

(なまえさん、それ程おれっちのこと見てくれてたのかにゃ〜、なんてね)

フッと笑い、カケルは眼鏡をかけ直す。

「…だとしたら、逆に俺っちチャンスあるかもねん?…よし」

カケルは椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。

「はーあ、もう今日は店仕舞い!せっかくなまえさんとの時間を削ったってゆーのに他の仕事してらんないしね〜。寮にかーえろっと」
アップにしていた前髪をぐしゃぐしゃと解き、カケルはスーツのままエーデルローズの寮へと帰っていった。

 

 

*****

 

 

「……ねえ、今日の打ち合わせの場所って、前と同じでいいって言ったよね?」
「そうでしたっけ?」

カケルをじっと見ながら質問するなまえに、わざとすっとぼけながら、カケルはにんまりと笑った。

「まあまあ、いいじゃないですか。打ち合わせなんて、できればどこだって」
「それはそうだけど、音が…!」
なまえは耳を抑えながら、周囲を見る。
バリバリと普段聞き慣れない大きな音が鳴るここは、十王院グループが所持するヘリコプター――何機かあるらしいがそのうちの一つらしい――の内部だった。
先週のように同じビルの同じ会議室に向かっていたなまえは、その入り口で待ち構えていたやけに上機嫌なカケルに出くわした。そしてそのまま「お待ちしてました。今日の打ち合わせはこっちですよん♪」と言われるがままにカケルに腕を引かれ、気が付いたら何故か屋上まで上がりヘリに乗っていたというわけだった。

「どうです?いい景色でしょ」
「いや、それはそうだけど…」
少し慣れてきたなまえは、窓から外を見下ろしながらため息をつく。
「でも、打ち合わせに景色関係な…」
「本当は夜景の方がインスタ映えするんで、そっち見せたかったんですけどねん。打ち合わせの時間だけは変えられないし」
「いや、あの…」
なまえの目が、「そういうことじゃない」と訴えているのは分かっている。しかし敢えてそれをスルーしながら、カケルは鼻歌交じりに書類をケースから出した。
「あ、そうそう。この前言ってた続きなんですけど、ひとまず案としてこういうの作ってきたんで、見てもらってもいいですか?」
「え?あ、うん…」
急に仕事の話を振られ、なまえはきょとんとしながらそれを受け取る。なまえが真剣な顔でカケルの案を見ているその姿を、カケルはその横で手に顎を乗せながら見つめていた。
(やっぱ真剣な姿がいいよねん、なまえさんは)
「ん……すごい。もうここまで考えてくれてたの?だいぶ前より進んでるよね」
「いんやー、この前は醜態をお見せしちゃったんで、このくらい当たり前っすよ~。特に異論なければその方向で行きたいなーと思うんですけど」
「うん…そうだね。ここだけ、日程変えてもらってもいいかな?多分、スケジュールぎりぎりになっちゃうから」
「ああ、なるほど。オッケーです」
「それ以外は特にないかな。…やっぱりカズオくんってすごいんだね」
目を見張るなまえの視線に、カケルは満更でもなさそうにいやあ、と笑う。
「普通っすよ。俺っちこんなことばっかり小さいころからやってきたから、嫌でも慣れるってもんで。…っていうか、カズオじゃなくてカケル!ですから!」
「……そっか」
その台詞をどう受け取ったのか、なまえは少しだけ微笑んだ。
「それより。これでひとまず次の全体会議まで打ち合わせすることないっすよね」
「ん?…うん、まあ、そうだね」
書類をトントンと束ねるなまえに、カケルがにんまり笑って人差し指を上に向ける。
「でも今日は、なまえさんあと1時間は時間余裕ありますよね」
「え?ま、まあ…打ち合わせにそのくらい時間かかると思ってたから。そのつもりで時間はとってるけど…」
カケルは指をパチンと鳴らし、じゃ決まりっすね、と笑う。
「え?」
「このままヘリデートに付き合ってもらうってことで♪」
「で、でーと?」
「あ、何か食べたいものとかあります?色々軽食を用意してありますけど」
「いや、別に…っていうか、デートって」
「いやー、あのですね、俺っち」
カケルはなまえの返事も聞かないうちに、ノンアルコールのスパークリングワインを手に取り開封し、いつの間にか用意されていた2つのグラスにそれを注ぐ。
「なまえさんには、回りくどい方法は通じないんだなってこの前改めて思ったし――」
1/3ほどグラスに溜まると、すっとボトルを引き上げ、テーブルの隅に置いた。
「この前心配してくれたじゃないですか、俺っちのこと。あれで決意したんです。なまえさんはストレートに口説こうって」
グラスの一つを右手に、もう一つを左手に持ち、なまえに向けて渡す。
なまえは目を丸くしながら、思わずそれを受け取った。
「ってことで、これからなまえさん本気で口説き落とすつもりなんで」
眼鏡の奥から鋭い眼光が見え、なまえは思わずたじろいだ。
かと思えば、一瞬にしてカケルのその表情はふわりとゆるみ、「シックヨロ~☆」とちゃらける姿はいつものカケルのそれだった。
「じゃっ乾杯☆」
「え。あ、うん…」
言われるがままチンとグラスを鳴らし合った後、一口飲み、なまえは改めて目を瞬かせた。今しがたカケルに言われたことをゆっくり頭の中で反芻し、ようやく感情が追い付いてきたのか、だんだんと頬が赤く色づいてきた。
「……え?あの…今私、もしかして告白され…た?」
カケルはその反応に満足げに笑い、頷いた。
「これで分からなかったらマジでどうしようっかな~って思ってました」
「へ…」
「ま、そこもなまえさんのいい所なんですけどね~。あ、これ美味しいでしょ?日本では売ってないんでフランスから取り寄せたんすよ~」
「え、あ、うん。おいしい…」
慌てて飲むことに集中しようとするなまえに、ふっと笑い、カケルは続ける。
「…当たり前ですけど、仕事は仕事でちゃんとやるので。勿論俺っちをこっぴどく振ろうが振らまいがそれは全く仕事に影響しないので、安心して下さいねん。でもそれとは別に、プライベートでは――」
グラスを置いて、カケルはウインクをした。
「グイグイなまえさんにアプローチしてくんで」
「…カ、カケルくん。ちょっと待って。私、情報処理しきれない……」
「いいですよ、ゆっくりで。俺っち長期戦で考えてますから」
にっこり笑うカケルに、なまえはへなへなと脱力し、ソファに背をもたれさせた。
「…だめだ。今日はカケルくんに負けた気が、する」
「……そう思ってもらえるのは光栄ですけどね~」
カケルは複雑そうな笑みで、髪の毛の先をちょいちょいといじる。
(でも、惚れた方が負けなんだよねん、基本)
「…まあこっちは連敗続きなんで?今日だけは勝ち頂いておきますね」
「…私いつ勝ってたの…?」

全然わかんないよ、とテーブルに突っ伏すなまえ。髪の毛の隙間から見える耳が赤くなっているのを確認しながら、カケルはスパークリングワインをもう一口飲んだ。

(よーやく、スタートラインに立てたかな~っと)

今日はぐっすり眠れそうだ、と思いながら、この負け戦をどう逆転していくか――カケルはワクワクする気持ちが抑えきれなかった。

 

 

 

 

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